広島市安芸区矢野地区は,広島市中心部から約9km,呉市へ約18km,両市を結ぶ国道31号線の中間に位置し、熊野町に通じる県道矢野・安浦線が,矢野地区を東西に分ける形で走っており,交通の要地となっています。
矢野公民館によれば、矢野は、広島市安芸区のうち海田湾に注ぐ矢野川の下流地域で、中世に野間氏の拠った発喜(保木)城下の市町で、矢野浦として発達した港津だとか。
驚くことに、矢野に人が住みついたのは、縄文時代の早期とされ、旧矢野小学校グランドからは縄文時代の土器の破片や石斧などが発見されているそうなんです。
知ってました?
矢野は、古墳や城跡もありますから、歴史的な町でもあるんですね。
一気に時代を駆け抜けると、明治36年には、国鉄呉線「広島~呉」開通し、矢野駅が設置されます。
大正6年に町制が施行され、矢野町となります。この頃、髢(かもじ)の生産が全国の7割を占めたそうです。
髢(かもじ)とは、髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪・義髪のことで、今日では、日本の女性がいわゆる日本髪を結う際に用いることが多いものです。
昭和10年には海田市、矢野新開、その地先が埋め立てられ、陸軍用地となります。これが現在の自衛隊海田市駐屯地。
昭和30年代から機械・金属などの工場が進出。昭和40年代以降、住宅団地が造成され都市化が進み、人口が爆発的に増えていきます。
昭和50年に広島市と合併。昭和55年政令市として安芸区となります。
人口は過去20年間を見てもいまだ増加中。歴史のある矢野は今後どんな発展を見せてくれるんでしょうかね。
住みながらも、楽しみながら暮らして生きたいと思います。